(この記事は、2024年6月15日に開催した「株式会社福幸塾10周年パーティー」の代表スピーチです。「言葉のドレスアップ」のサンプルの一つとして公開いたします。)
【記念スピーチもくじ】
0 あいさつ
じゅくせいの皆さんにはお馴染みのフレーズがあります。
「いやー……人生って、おもしろいですね」
僕は自分たちの仕事を、「人生の物語」を紡ぐことだと定義しています。
でも、自分の物語・自社の物語となると、自分で紡ぐのは難しいものです。それでも今日は株式会社福幸塾の10周年なので、これまでの歩みを物語にしてお話しします。
……といっても、多くのことはすでに出版した本に書いています。しかも、2冊も。
皆さま……当然とっくに2冊ともお持ちですよね? 1冊も持ってない、なんてないですよね?
もしまだどちらか持ってない本があれば、今すぐQRコードからお買い求めください。今日は本や写真には載らない「当時実際に感じていたこと」を中心にお話しします。
1 最初に考えていたこと
僕には臆病なところがあるので、できない約束はなるべくしないようにしています。でも野心はちょっぴりあって、目標やビジョンを考えるのは好きです。
何か大きな挑戦を始める時は、目標を紙に書いておいて誰にも言わない、ということをします。2010年に福幸塾を始めた時も、2014年に会社にした時もそうでした。
塾を始める2010年、会社にする直前の2013年、僕が考えていた2020年はこうです。
「2020年、各都道府県に最低一ヶ所ずつ活動拠点を置く」
「日本一のトップインスピレーターになる」
……実際どうだったか?2020年、活動拠点……
1カ所!
トップインスピレーター……
書いたことすら覚えてない!
ノートを見返してみて、「全然イメージ通りになってへんやん」って思いました。
写真だけを見れば、それなりにうまくやってきたように見えます。でも、写真に内面や実態は写りません。実際は、会社の業績も自分の気持ちも大きな浮き沈みを繰り返してきました。
手応えを感じ始めたのは、実はここ2−3年。「ストーリー」に力を入れ始めてからです。
事業として成り立つのか、成長できるのか、わからない中を進んできた10年でした。
2 苦しい時期に救われた一言
苦しいからこそ、多くのことを学ぼうとしました。人の話を聞いては素直に実践しようとしました。でも、多くの人がくれたアドバイスは、全然しっくりきませんでした。
「なぜ人が離れたのか、考えた方がいいよ」
「経営者はみんな孤独、そういうものだよ」
「まずは、みんなに認めてもらえないとね」
特定のコミュニティの中で生きていくには必要なことかもしれません。でも、新しい価値や新しい生き方を生み出すために必要だとは思えませんでした。
本当に苦しい時期、一番支えになったのは、同じ経営者仲間だった藤田さんの言葉でした。
2015年2月、会社にして1年になる頃、僕は泣きつくように藤田さんに相談しました。
「会社が潰れそうで苦しいです」
もしかしたら、藤田さんにも他の人と同じようなことを言われるかもしれないと思いました。でも、藤田さんは違いました。
福ちゃん、あんた信じてた人に裏切られたんか?
離れてった人より、ついてきてくれる人と向き合わなあかん。
……僕が一番苦しい時期を乗り越えられたのは、その言葉のおかげでした。
3 強みは気付かせてもらうもの
じゃあ、離れずにいてくれてる人は誰か……その時すぐ思い浮かんだのが、起業を志して塾に来ていたまさみっちーでした。
彼は「福幸塾みたいなサービスを作りたい」と言って塾に来ていたので、もし実態を知ったら幻滅されるんじゃないかと不安でした。
それでも思い切って打ち明けたところ、「どうすれば乗り越えられるか、一緒に考えましょう!」と言ってくれました。乗り越える突破口になったのは、まさみっちーからの質問でした。
じゅくちょうはどうやって人の話を引き出しているんですか?
当時の僕は「話を聞くことなんて誰でもできる」と思っていたので、回答に困りました。でも実は、そこに福幸塾の強みが隠れていました。人の話を引き出し、わかりやすくまとめる能力には大きな価値がある、と後になって気付くことができました。
まさみっちー自身も、その後起業を果たし、今では「コミュニケーションジム」として活動しています。一時期、意見がかみ合わなくて疎遠にもなったこともありましたが、それも乗り越えて今も良き仲間です。まさみっちー、ありがとうございます。
同様に、当時塾に通っていた中学生・高校生からも、自信と勇気をもらいました。ある高校生のじゅくせいが、「成長を実感できた」と言って学校の評価を見せてくれました。
「こんなに伸びた要因は、福幸塾以外にありえない」とのことでした。成果が見えにくい「勉強を教えない塾」だから、余計に嬉しいフィードバックでした。(余談ですが、学校のキャンプは逆効果だったみたいです)
4 飛躍のきっかけも「人」から
自信が持てるようになってくると、次の挑戦を考えるようになります。
「自分はいつまで亀岡(京都)にいるんだろう? なぜ関西に留まっているんだろう?」
もともと「全国」は意識していたものの、どう広がっていけばいいかは見えていませんでした。当時そんな話をして、結果的に転機を与えてくれたのが、和歌山の佐多さんでした。
佐多さんとは2015年頃、経営者向けのセミナー(神田昌典さん主催)で知り合いました。お互い事業と向き合いながら、進捗報告やアイデアシェアをしていました。その佐多さんが、2017-18年頃に依頼の連絡をくれました。
「和歌山で『熱中小学校』という大人の社会塾を作ります。講師になってくれませんか?」
僕は「やった! 仕事が来た!」と思ったのですが、「講師料は出ません」とのことでした。しかし佐多さんは、「代わりに……」といって、一つのことを約束してくれました。
じゅくちょうを全国区にします。熱中小学校を足がかりに羽ばたいてください
当時、お互い事業に悩んでいたので、正直「本当かな?」と疑いました。それでも「佐多さんの力になれるならいいか」と思って引き受けました。
……本当に全国を飛び回れるようになりました。
5 歩んだ後ろに道ができる
「自分の取り組みは、全国でも通用する」と思えたことは、コロナ禍を乗り越える自信にもなりました。
オンラインで多様な人とつながれるようになり、インターン活動を希望する学生が現れるようになり、ようやく「思考の整理・言語化・伝え方」のサービスが形になってきました。
10代の子ども向けに始めた「勉強を教えない塾」も、今では大人からの寄付で運営できるようになりました。
「起業したい」「留学したい」「何か挑戦したい」という意欲的な10代が、親の顔色や学校の枠に囚われることなく、人生観・世界観を広げられるようになりました。皆さまからのご支援のおかげです。ありがとうございます。
この取り組みを初めて知った人、可能性の大きさに気付いた人は、今がチャンスです。毎月1,000円でこのプロジェクトのオーナーになることができます。
こうして改めて振り返ってみると、決して悪くない10年だったのかもしれません。想像以上に多くの人とつながり、原点だった10代の教育も少しずつ理想的な形になってきています。自分の生活を安定させたり、全国を飛び回ったりすることも実現できました。
冷静に考えると、昔書き出した目標が必ずしも全然ダメだったわけではないみたいです。
会社にする直前、僕は「教育と仕事を本来あるべき形にしたい」と書いていました。誰かが犠牲になる社会がイヤで、もっとみんなに優しい社会を実現したい。そんな想いが起業の原点にありました。
僕自身、「人生を変えたい」と思っても、どうしていいかわかりませんでした。だから、苦しい人生から抜け出すための「はい上がっていく階段」を作る、というのが当時の考えでした。
その先のビジョンには、「77歳で学びの貧困がなくなる」と書いています。どうやら、これを諦めるにはまだ早い。10年経っても、まだどうにか夢と希望は持ち続けられているようです。
6 次の10年に向けて
だからこそ、ここからです。一番難しいのが、「これからどうするか」です。基本的に、僕は新しい価値を創り出すことに力を注いでいきます。「0から1を生み出す」ってやつです。
起業家と名乗る人はよくこの表現を使うのですが、実は違和感を覚えることがよくあります。「0から1を生み出す」と言う割には、「それ、本当に0から1?」と思う場面が多々ありました。それはなぜか……『Zero to One』という本の中に、その答えはありました。
世界に関する命題のうち、賛成する人がほとんどいない大切な真実は?
起業家を名乗る多くの人は、賛成されることしかしていないように見えたからでした。たとえ周りの人に理解・応援されなくても想いを貫く、という人はごく一部でした。だからこそ、僕はそれにチャレンジしていきます。
では、次にチャレンジすることは何か? 「学年一人」で育った自分だからこその挑戦とは何か? ここからは、これまでお世話になってきた人たちにも半分ケンカを売るような仮説を掲げます。
7 誰もしないから価値がある
僕はこれまで、さまざまなコミュニティに飛び込んできました。いわばそこは、慣れ親しんだ地元・世代・業界を離れた「アウェイ」でした。
どのコミュニティも、中の人たちは「うちのコミュニティは最高だ」って言います。でも部外者から見て、一人ひとりを真に理解しようとしている印象はありませんでした。自分たちの色に染まってくれる人にだけ優しいコミュニティばかりでした。
僕は時々、「自分たちは本当に人を大切にできているか?」と自分を疑います。
僕のコミュニティで僕が楽しいのは、言ってみれば当たり前です。初めての人や、自分と感覚が違う人も楽しいかどうか、が大事です。相手を自分の色に染めるのではなく、相手の色をそのまま楽しむ感覚を、僕は大切にしていきます。
そういう「建設的に疑う感覚」は、おそらく多くの人には理解されません。考えること自体が面倒だし、「自分(たち)はこれでいいのか?」と疑うには勇気がいります。疑うことなく「自分たちは最高だ」と思っている方がラクです。
だからこそ、そこに価値があると思って挑戦します。そういう人たちとつながって、そういう人たちに貢献していきます。
8 向き合う人から勇気をもらって
実際のところ、福幸塾のクライアントにはそういう向き合い方をしている人たちがいます。そのうちの一人が、千葉で医療・福祉の事業を展開されている垣本さんです。
垣本さんには毎月、事業を俯瞰する『思考のメンテナンス』をさせていただいてます。事業が成長し続けている中でも、垣本さんは「本当にこれでいいのか?」と疑います。そこから新しい考え方や価値観を生み出す姿に、僕はいつも希望をもらっています。
そんな垣本さんから、言われたことがあります。
福田さんの挑戦は理解されにくいと思います。でも、僕は価値を感じるから毎月続けます。
知り合った頃は30人くらいの規模だった垣本さんの会社は、僕が迷走している10年の間に1200人にまで大きくなりました。常識や慣習に染まらずに、責任を持って地域や業界を良くしていく。そんな姿が本当に素敵です。
(今回、パーティー冊子の制作にもご協力いただきました!)
9 責任をもってがんばる人に貢献する
責任を背負っていなければ、おそらく「自分はこれでいいのか?」と疑うことはしません。多くの人は、安易な答えに飛びついて考えることをやめてしまいます。だから、自分を疑う感覚は理解されません。
でも、そうやって責任をもってがんばる人こそ理解されてほしいと僕は願います。責任をもってがんばる人の考えや想いが理解されるようになれば、社会はもっと優しくなるはずです。
「コミュニティのメンバーだから大切にしてあげるよ」ではなく、「コミュニティは違うけど、想いが素敵だから大切にするよ」って思えるような社会にしていきたいです。それが僕の次なる挑戦です。
このような想いから生まれたのが、『言葉のドレスアップ』です。人の想いが物語としてまとまり、後世に受け継がれていくようにと願って、本や新聞を作り始めました。これまで培ってきた「人の話を引き出す技術」を活かし、より多くの人に役立てていきます。
10 自分たちの強みを活かして
実際に関わった方は実感されたと思いますが、福幸塾には人の話を深く聞ける人が集まります。一方、世界や世間に目を向けると、多くの場面で自己主張のぶつけ合いが見られます。もし、僕たちが聴き役・まとめ役になれたらどうでしょう?
……話を深く聴ける人が増えれば、世界はもっと平和になると思いませんか? 僕たちがつくっている環境やコミュニティには、多くの可能性が秘められています。
責任をもってがんばる人や、話を深く聴ける人の、想いがもっと理解・評価されるように、未来にふさわしいサービス・コミュニティを作っていきます。せっかく優しい人が集まっているなら、何か挑戦したいですよね。
次はどうするか……やっぱり、世界へ出ていきたいですよね!
世界には言葉の壁、文化の壁がたくさんあります。だからこそ、『言葉のドレスアップ』で世界をつないでいきませんか?
魅力や才能を秘めた人たちがもっともっと理解されるように、いろんな「壁」を乗り越えていきましょう。学年一人の田舎から人生が始まって、どう転ぶかわからない中で続けてきた挑戦……次のテーマは、
一緒に世界へ羽ばたいていきましょう。これからもよろしくお願いします。
ありがとうございました!
福田幸志郎
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